つらい陣痛を乗り越えて、やっと生まれてきたはずの我が子が
産声をあげない。
そんな経験をしたことがあります。
つい数時間前に陣痛が始まった時には、これを乗り切れば赤ちゃんが
元気に生まれてくると信じて疑わなかった。
「なに? なんで泣かないの?」
そんな私の声だけが聞こえる、静まり返った分娩室。
今起こっていることが全く理解できないまま、産後の処置が静かに行われる。
死産。
そこには、それまで想像したこともない世界がありました。
出産を控えている方を、怖がらせたいのではありません。
ただ、こういう経験談を求めている方がいる現実を知っているのです。
あの時の私がそうだったから。
自分の身に起きたことをとにかく知りたかった。
同じ経験をしている人の話を聞きたかった。
そして、同じ気持ちを知っている人に「わかるよ」って言って欲しかった。
今、あの時の私のように、息もできずもがいている人がきっといるから、
あの時、そしてあの日から今日までの思いを、
ここに書きたいと思います。
あの日、臨月で死産するとは夢にも思っていなかった。胎動もあった。
普通の朝でした。
破水して病院にいた私は、妊娠中に書き続けていた日記にこう書きました。
「あと何時間後かには会えるね。」
窓の外は普通に晴れていて、2度目の出産の私はたいした不安もなく、
もう少しで生まれてくる女の子に出会えることをただただ楽しみに
していました。
妊娠中にもなんの問題もなかったのです。
臨月になり、陣痛も始まり、あとは産むだけ。
当たり前のようにそう思っていました。
生まれたのに産声が聞こえない、その瞬間までは。
すぐに赤ちゃんはどこかへ連れていかれ、何が起こっているのかもわからない
まま、分娩室に取り残された私。
結局その日は、「問題があったから病院に運ばれた」とだけ聞かされ、
個室で一晩を過ごすことになりました。
誰に聞いても、それ以上のことは教えてくれません。
でも、産声をあげなかったことを知っている私が、良い方に解釈
できるわけがありません。
一晩一人で泣き続けました。
生きていてほしい。
でも、泣かなかったくらいだから、きっと脳に障害が残る。
どうやって育てていけばいいのか。
もう一度朝に戻ってやり直したい。
そんなことをぐるぐる考え続け、泣き続け、翌日の昼頃、ふっと
気持ちが切り替わりました。
泣いている場合じゃない。
今あの子は病院で、生きるために頑張っている。
私がしっかりしなくちゃダメだ。
突然サッとふっ切れ、涙が止まりました。
顔を洗い、髪を整えました。
出された食事も食べました。
そうこうしていると、看護師さんが来て、退院していいと言うのです。
昨日出産したばかりだけれど、体に問題はないし、ここにいるのも
辛いだろうから、家に帰っていいよ、と。
帰りました。
とにかく一度家に帰って、いろいろ整えようと。
けれど、家に帰った私が、主人や両親に聞かされたのは、前向きに
なりかけた私を、一番奥の奥まで突き落とす真実でした。
赤ちゃんは、昨日の時点ですでに亡くなっていました。
出産後すぐ救急車で運ばれたものの助からず、出産した病院に戻されて
いたのです。
さっきまで私がいた病院に赤ちゃんもいたの?
私、置いて帰ってきちゃったの?
早くそばに行ってあげなくちゃ。
亡くなったという事実ものみ込めないまま、すぐ病院に戻りました。
出産から一日以上経ってやっと会えた赤ちゃんは、棺に入れられ、
すでに冷たく、そして固くなっていて、
抱っこしてあげることもできませんでした。
臨月で死産の兆候なんてなかった…!
私と赤ちゃんの身に起こったこと。
全治胎盤早期剥離。
まだ赤ちゃんがお腹の中にいるうちに、胎盤が子宮の壁からはがれて
しまい、赤ちゃんに酸素がいかなくなってしまうのです。
私の場合は、分娩の最後の段階で、ほんの少し早くはがれてしまい、
赤ちゃんは息が出来なくなってしまいました。
原因はわかっても、赤ちゃんが亡くなったという事実は、そう簡単に
受け入れることも受け止めることも出来ません。
その日からただ苦しいだけの日々が始まりました。
息をしているのに、息ができていないような日々です。
なんで、私にそんなことが起こったの?
なんで、私とあの子だったの?
どうしたらあの日の前に戻れるの?
どうしたらあの子は戻ってくるの?
そんなことばかり考え続けました。
そんな状態でも、日常はあります。
私の場合、上の子がいたので、ひきこもっていることも
出来ませんでした。
外に出ることも人に会うことも、こんなに怖いなんて、初めてです。
「大丈夫?」
「頑張って。」
私を気づかってくれているはずの言葉が突き刺さります。
大丈夫、頑張る、と答えるしかない。
何一つ大丈夫じゃないのに。
毎日、起きて、食事をして、外に出て、そんな普通のことすら精いっぱい
頑張ってこなしている状態なのに、これ以上何を頑張れって言うの?
経験したことのない人に、私の本当の気持ちなんてわからない。
人の優しさがとげにしかならない現実に、より苦しくなりました。
そんな私の気持ちを理解して支えてくれたのは、ネットで知り合った、
同じ死産を経験して苦しむママ達です。
今は無理をする必要はない。
泣くしかできない日も、心ない言葉に傷ついて後ろ向きな日も、当たり前だ。
ねたむ気持ち、うらやむ気持ち、ひねくれる気持ち、全部仕方ないよ。
子供を亡くすって、そんな簡単なことじゃない。
乗り越えてって言うけど、乗り越えるって何?
もうじゅうぶん頑張っている。
これ以上頑張らなくていい。
いつかきっと心から笑える日がくるよ。
そう励ましあいました。
妊婦さんや赤ちゃんを見ると、苦しくて涙が止まらなくなること、同じ
時期に出産したママから、元気な赤ちゃんの様子を聞かされること、
今後の妊娠について、など、同じ辛い経験をしているからこそ、
わかりあい話し合えることもたくさんありました。
そんなママ達との交流を力に、なんとか日々を過ごしていき、
「前を向いてすすんでいける気がする」と私がやっと思えたのは、
娘を産んでから3年を過ぎた頃でした。
<まとめ>
私の中にずっと残っている後悔。
娘を抱いてあげられなかったこと。
娘が亡くなったことを丸一日以上知らされずにいた私。
隠していた主人や両親を責める気持ちは全くありません。
出産直後の弱った体に、こんな酷なことを知らせたら、私が
壊れてしまう。
そう心配して、私に真実を告げられずにいた彼らもまた、苦しんでいた
ことを知っているから。
ただ、気付かなかった自分を責めたくなるのです。
同じ病院の、すぐ近くの部屋で娘は眠っていたのに、
気付いてあげられなかった。
早く気付いていれば、娘を抱っこすることができたはず。
このことだけは後悔としてずっと心に残ったままです。
あの日から11年が経ちましたが、娘は今も我が家で一緒に暮らしています。
見えないけれどここにいる。
そう思っています。
今私は心から笑えるようになったし、すっかり元気だけれど、娘のことを
忘れたことも、忘れることもありません。
娘への思いを抱えながら、一緒に生きていくのです。
娘のお骨は、納骨していません。
いつか、私か主人、どちらかが亡くなってお墓に入る時まで、
我が家で一緒に暮らします。
娘を産んでしばらくは、見るのが辛かった赤ちゃん。
今私は赤ちゃんが大好きです。
見知らぬ子でも、元気な赤ちゃんを見かけると、愛しくてたまらず
涙が出そうになります。
元気に生まれてよかったね。
元気で生まれることも、今こうして生きていることも、当たり前じゃないと、
痛すぎる思いをして知った私。
悲しいお産がなくならないことはわかっているけれど、こんな思いをする人が
一人でも少なくなるようにと願わずにはいられないのです。